e楽器屋.comが取材した楽器店・インタビュー特集(全36回・2015年3月〜2019年12月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

楽器屋探索ディープレポート Vol.14

楽器店の中の人に話を聞いてみた〜 Disc Jam渋谷シスコ店 4/4 編

このコーナーは、楽器店でミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューしてお話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

'97年、静岡に『Disc Jam』1号店開店

とうとう自分の店がスタートしたのですね。楽器店併設のスタジオはどのような感じでしたか?

スタジオには、当時流行っていたパンクやハードコアをやってる連中が出入りしていて、ヤツら機材は破壊するし、正直嫌いだったね(笑)。でも、店の隅にほんの少しだけDJ機材を置いていたら、中学校で放送部をやってる真面目そうな男の子がDJ機材に興味を持ってくれて、ジャズやフュージョンのクロスオーバーが好きだって言うんだよ。中学生の子たちのほうが全然僕寄りだなって思って、徐々にDJ機材を増やしていったよ。

徐々にDJ系の方に特化していったのですね。

県内のお客さんが集まるようになった97年には、いつも催事をやらせてもらっていた生活創庫(※ユニー株式会社の総合スーパー。名古屋・静岡を中心に全国展開していた。)というデパートから出店のお誘いが来た。DJショップを静岡で開店することになったんだ。店の半分はDJショップ、もう半分はサーフィンとスノーボードの店を経営する友達に出店してもらう形で。若い人たちから物凄い人気が出ました。その店舗名が『Disc Jam』、第1号店。

ついに『Disc Jam』の名前が出てきました。

DJとは本来、「ディスク(レコード)を使って(ジョッキー)おしゃべりする」って意味なんだけど、でも僕は『ジョッキー』の意味ではなく、『ジャムセッション』って意味で使ってるよ。当社だとDJ=Disc Jamとなるのです。

ミュージシャンという基本を大切にされているのですね。その後、どのように店舗を増やしていったのでしょうか?

Disc Jam1号店と阿部楽器店の計2店舗を運営してたんだけど、Disc Jam1号店を出した3か月後に、生活創庫のユニーから「名古屋でも店を出さないか?」と言われ、それがキッカケで『阿部楽器』を閉めて、名古屋と静岡の生活創庫本店でDisc Jamが2店舗になった。

名古屋でも展開が始まったということですね?

当時、アナログレコードとDJ機材を本格的に販売してたのは全国でウチが初めてだった。その名古屋店で雇った一番下っ端のアルバイトに、今活躍してるSEAMOくんがいた。年に一回社員旅行をやってたんだけど、デパートは店を閉められないから、SEAMOくんにお店を任せて社員旅行にいったりして。それくらい彼は下っ端だった (笑)。

2007年にはシスコが閉店、テクニクスが解散

いまや有名人のSEAMOさん、そのシチュエーションも似合う愛されキャラですね(笑)。

その後、三越から出店オファーをもらって新宿アルタ店に出店することになり、東京1号店をオープン。その半年後にシスコ(輸入レコード販売店CISCO RECORDS)常務から渋谷での出店オファーをもらい、条件として渋谷シスコ店を命名し、そこが今あるDisc Jam渋谷シスコ店となった。敷地面積たったの6坪だよ!? 四畳半もないくらいの広さ。でもこれがドル箱の店になった。

ドル箱! DJ機材だけすごい売上げだったのですね?

そうだよ。銀行が「駅のキヨスク並みですね」って驚いてました。新宿アルタ店も売り上げ坪効率デパート内1位で、宝石店並みだって言われてた(笑)。

人気の高さが数字にも現れていたのですね。

それが、2007年にはシスコが閉店、同時にテクニクスが解散ですよ。レコードプレイヤーが無くなっちゃうっていうのはすごい痛手だった。それでも僕は『FUCK PC Real DJs VINYL』というメッセージを掲げて、それをレコード袋に書こうって、消えてしまう前のシスコにも呼びかけたけど、残念ながら実現することもなく…。

そのあたり、デジタル時代の本格的な到来時期ですよね。

シスコは10店舗程あった店をすべてクローズすることになったのでDisc Jamは6坪の狭いお店から隣りのCISCO HOUSE2店舗があった現在の場所へ店を休まずに1日で平行移動した。(この時手伝いの声を掛けた各楽器取引メーカーの中で唯一、ただ一人お手伝いに来てくれたのがKORGの田子くん、現在KORG東京支店長です。パチパチパチ(拍手))店の看板はうちが使えることになったので、『FUCK PC Real DJs VINYL』と描いて看板にした。でも当時、「バカな事を言ってる店だな」とか言われたりもしたが、現在では海外から来る人達等がみんな「カッコイイ」ってビルボード看板を写真撮っていくよ。

信念の表意、かっこ良すぎです。

“FUCK PC Real DJs VINYL”

レコード店やDJ機器メーカーの撤退など、業界としては厳しい状況にあるという印象がありますが。

僕が『FUCK PC Real DJs VINYL』を掲げながら8年経った今、またレコードの時代が確実に復活し始めてきているよ。東洋化成という日本で唯一のレコードプレス工場は、レコードブームのおかげで連日大忙しだというし、ターンテーブルや針が雑誌の特集記事などで紹介されることも多くなって、レコード業界の景気は絶好調といっていいんじゃないかな。『こだわりの世界』、これが復活し始めてきているんだよ。

『FUCK PC Real DJs VINYL』というのはやはりFUCK PC的な意味ですかね。

『FUCK PC Real DJs VINYL』=『本物のDJはアナログレコードだ!』、という意味。今のPC-DJは一体型で、どこにも『VINYL』(レコード)を使わないからね。僕が一番大切にしていることは『拘り』=『本物(リアル)』ってことで、ここが一番肝心なポイント。とにかく偽物はダメ。やるんだったら本物じゃないと!

やはりDJはアナログレコードでなければならないと。

それともう一つ、あくまで『PC=COPY』なんだよ。PCというのは簡単にコピーができてしまう。音楽が簡単にコピーされちゃうと、当然、音楽家に入る収入が無くなるので作品を作り続けることができなくなる。今、全世界がそういう時代。良い音楽家がいなくなったら、当然いい音楽が生まれてくるはずがない。

おっしゃるとおりの現状です。

アナログレコードでなくてもいい、CDでもダウンロード配信でもちゃんと購入すればアーティストにお金が入る。だから、『FUCK PC Real DJs VINYL』には、「ちゃんと正規購入した音源を使ってくれ」という意味も込められているんだ。タダ同然で転がっている音楽はあぶく銭と同じだからね。それと、やはり『ダウンロード』では、『形』として『物』として残らない。当然、匂いもしないし、でも、『レコード』は匂いがするんです。“生きてる!”って感じです。

「俺は日本一の針屋になる」って言って出てきた。

この業界で勝ち抜くコツのようなものがあれば教えて下さい。

音楽は流行でもあるんだ。流行はロータリーしていくもの。結局、人の気持ちって、ないものねだりなんだよ。例えばミニスカートが蔓延した後はパンツ系になったりロングスカートになったりして、また10年経つとミニスカートが来る。蔓延すると必ず正反対のものを求めるのが世の常。

ミニスカートに例えて頂きありがとうございます(笑)。

今、東京はオリンピックバブルだしね。先進国は余裕があるから、音楽も食べ物もファッションも、「流行がまん延して来ると」次の物を求めて「無いものねだり」して来る。そこをうまく時代に合う様に持って行くんだ。やはり『拘り』がポイントだと思います。そして拘りだけではなく「ぶれない精神」です。レコード文化に関しては、別に流行とか何も考えてません。ただ、野球でもサーフィンでも道具の素材は変わっても基本同じ物で同じやり方です。これが誕生当時とは別の道具になってしまったら別の事になってしまうでしょ…。PCに依存するとそうなっちゃうのよ。そして僕は「昭和の時代から同じ事をやっているだけ」です。この50年間でAV機器の中で消えてしまった物は沢山有ります。「オープンデッキ&テープ」「カセットテープ」「DAT」「MD」「Betamaxテープ」「VHSテープ」「8トラックテープ」「レーザーディスク」…。しかしアナログレコードは消えてません! 流行にとらわれず、ファン層が厚いからです。これはギターで言うと「ストラトキャスター」「レスポール」の不滅の人気と似ている事かもしれません。ほんとディスクのDを使わないやり方でも「DJ」と呼ぶのは変だと思います(笑)。

阿部さんは16歳でこの世界に入ってきて以来、この荒波を乗り越えてきたのですね。

考えてみたら、40年近くひとつの看板を掲げられるのって奇跡みたいなもんだよ。気付けば、世界中のアーティストがウチの店に足を運んでくれるようになったしね。

(店内にある有名アーティストの写真・サインを見て)このお店がここまで愛されてるのはなぜなんでしょう?

それは、いつも僕が店にいるから。この最後の1店舗では、僕一人が従業員としてずっと店に出ている。これについて、DJの須永辰緒さんが、「お客さんは、ここの針を気に入ってるし、そしてなにより、阿部さんが看板として店にいるからいいんだよ」って仰ってくれた。生産者から直接話が聞けるという事の安心!

なにより阿部さんがお店とアーティストを愛しているんですね。

50歳で初めて静岡を出るとき、家内に、「俺は日本一の針屋になる」って言って出てきたんだけど、5年で日本一になれたと自負しているよ。

阿部さんが「本物」を追求してきた結果なのだと思います。

ありがとう。じゃあ、最後に、もう一つだけ言わせてもらっていいかな。去年、ジョージ・クリントンがビルボード東京のライブで来日した時に、ビルボード東京から、DJを手配してくれないかと相談されて、4人の大物DJを紹介したんだ。MURO、DJ-SARASA、DJ-KOCO、DJ-HASSAN、(DJハッサンは1977年に僕がDJで雇用されたお店の大先輩DJでFUNK&SOULを教えて頂いたので恩返ししました。)そのライブ当日、ジョージ・クリントン様に「是非うちの店に来てください」って誘ったら、なんと翌日、雨にも関わらず傘をさして来店してくれたんだよ!

それは凄すぎです!

そこで、僕が40年に渡るFUNK魂のこもった即興演奏を見てもらった。そしたらその夜の公演ハーフタイムに楽屋で、ジョージ・クリントン様と彼の奥様が「おまえは友達だ」と、クリントン夫人は、旦那が被っていた帽子を僕にかぶせて、僕が彼の奥さんプレゼントした「侍」野球帽を旦那クリントン様にかぶせて記念写真を撮ってくれました。そして物販コーナーの物では無く「Gクリントン様がスーツケースに入れて持ち歩いている私物の彼が書いた本」にサインどころか「絵」も描いてくれました。それからコンサート終了時「今度来日の際には、一緒に食事しましょう」と誘ったら「あなたはもう、うちの家族ですから」って言ってくれたんだ。うわ〜!俺は「この日のために今まで頑張ってきたんだ」と思った最高の出来事だったよ。僕のファンク人生の集大成であり最終到達点といえる一日だった。

感極まりました…、本日は濃密で素敵な話をありがとうございました。

長い時間ありがとう。それじゃあ、今からウチでDJプレイ聴いてってよ(笑)!

ジョージ・クリントン Disc Jam渋谷シスコ来店!

動画秘話

『ジョージクリントン様の前で即興デモ演奏した時、緊張しすぎて演奏楽器の「KORG Kaossilator」の電源を自ら切ってしまった。そして、最初からやり直す事に! しかも、未だかつて一度も忘れた事のない「ブルース・スケール」を間違えて合わないスケールでギター音のソロを弾いた。でも、気が付いた「その時」ミスを隠さず「そのまま演奏」しました。これは「ジミヘン」の極意と即座に考え、「イっちゃったFUNK」の演出として。直後にスケールは合わせ直しました・・17歳時にギタリスト「山岸潤史」から学んだ「Live中に間違えたら、間違えた音を下べろ出さずに、もっと派手に引きまくれ、観客はわざとやっていると思うだろ!」その言葉が頭に残ってました。そしてこの時、僕の気持ちは本当に「P-FUNK」でした。(by 阿部豪志)』

純国産レコード針『樽屋』公式サイト / Disc Jam 渋谷シスコ店 公式サイト
東京都渋谷区宇田川町11-11 / TEL: 03-3770-6699
営業時間:PM2:00~PM8:45
インタビュー&ライター 浅井陽BLOG ・Twitter)/ アシスタント 穂坂拓麻
(取材日 2016年3月)

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