e楽器屋.comが取材した楽器店・インタビュー特集(全36回・2015年3月〜2019年12月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

楽器屋探索ディープレポート Vol.14

楽器店の中の人に話を聞いてみた〜 Disc Jam渋谷シスコ店 2/4 編

このコーナーは、楽器店でミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューしてお話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

音響現場では、鬼軍曹と呼ばれた時代もあったけど、酒が大好きで、若い娘にはやさしい56才(笑)

次に阿部さんのことについて教えて下さい。この業界に入って何年になりますか?

1978年ごろだから、業界歴は40年。

40年…。失礼ですが、生まれはいつ頃ですか?

1959年生まれ。PA等のコンサートイベント現場では鬼軍曹と呼ばれてるけど、酒も女も大好きな56才(笑)。

たぶん、みなさん感じていると思いますが、とても若々しいです。

そこは自分を磨いているから。音楽家っていうのは「酒と女が大好き」っていう動機の不純さが大事。もしこの世にお姉ちゃんがいなかったら、夏なんかは暑いし素っ裸で歩いてる(笑)。

しかしそのモチベーションの持続もすごいです。

異性がいるから格好良く生きたいと思うし、そのために音楽を始めようと思った。どうせやるならキャーキャー言われたいから、ルックスもレベルを上げていくわけですよ(笑)。

どのように上げていくのか、ぜひ教えて下さい。

ある日、ひとつのヒントを見つけた。ソウルミュージックのイベントで、いつもいる関係者の奥様たちが全然いない日があった。聞けば「みんなSMAPのコンサートに行ってる」と言う。それで、僕は短髪からジャニーズ風に変えてみた。それが45歳くらいのとき。自分の娘もジャニーズが好きで、娘の同級世代からも人気が出るようにならないとだめだなと思った。そしたら、45歳の時から、お姉さん方にもモテるようになってしまった(笑)。

バンドとかをやる連中は、皆同じだと思います (笑)。

男は少しヤンチャな気持ちがないとつまらないです。それは、大手楽器店など行くと、店頭に立ってる従業員からそういう匂いが感じないし、彼らにとっては、ただ楽器があればいい。今は昔と違ってそういう時代になっちゃったのかな(笑)? 真面目に音楽に取り組む姿勢でロックとかをやっちゃってる。

匂いとか“動物的な感覚”が大切!

音楽馬鹿の匂いがする人、好きです。

“匂いとか動物的な感覚が大切!” 人と出会ったその時に「同じ匂いしたよな」って思うことあるでしょ。僕は、見かけだと「チャラいやつがいるな」と思われる容姿だけど、少し話しただけで匂いを感じてくれて関係が深まっていく、そう言う人達がたくさんいる。その中には、ウィル・スミスの相棒でDJのジャジー・ジェフとか、THE・ROOTSのドラマーのクエスト・ラブMAKIDAI君などもそうみたい。

MAKIDAIさんってEXILEの?

MAKIDAI君は、4年くらい前から当店に来てます。僕は最近のJ-POP事情を、あまり知らなかったので最初誰だかわからずに機材の説明をしてた。レジの際に、「どっかで見たことあるけど、DJネーム何だっけ?」と聞いたら、「MAKIDAIです」って言われ、それでもわからなかったところ、耳元で「EXILEです」と言われ何とか分かった。それ以来、DJ機材の面倒を見たり、変わったプレイを伝授したり、彼が出演する番組ではDJ機材のセッティングサポートしたりしているよ。

MAKIDAIさんを知らなかったというのもすごいですが、EXILEというのも少し意外というか…。

僕が彼らを好きなのは彼らのRootsと人並み外れたトレーニングや体力作りを毎日やっている事を知っていたから。LDH(MAKIDAI/EXILEが所属している会社)とはよく仕事をしているので。僕は、いい年こいても現実回避で自分の奥さんに生活費を貢がせながら「夢と現実のバランスがとれない人」つまり自分で稼いでいないのに偉そうな事を言うヤツが大嫌いなんだけど、そういうヤツらほどEXILEやSMAPやサザンオールスターズを「売れりゃいいのかよ」って嫌ってる。僕は、そういうのこそが嫌いなんです。答えは簡単、「くやしかったら売れてごらん!?」、この言葉をどう受け止めるかが、僕にとっても叩き台だったんだよ。

5歳の時“スプートニクス”のドラムに衝撃。

幼いころから音楽に触れ合う環境だったのですか?

母方の祖母が大正琴を弾いていて音楽が大好きな人だった。祖母は104歳まで生きたんだけど、目の見えない障害をもち、新幹線もジェット機も見たことがない。その祖母の音楽をよく聴いていた、今思えば、まるでスティービー・ワンダーみたいな人だったよ。そして叔母が静岡のレコード店「すみや」で働いていたので、幼少時よりレコーに触れ合っていた。と同時に、レコードを嗄声する機器にも触り、子供感覚の実験もしていた。ラジオを水の中で聴いたらどんな音がするのか試そうと、風呂の中にラジオを沈めたら壊れちゃったり…。そのあたりの興味は、後々のレコード針やPA関連の仕事へ就くことにつながったかもしれない。

天才にみられる衝動的実験魂に似ているような(笑)。

同じく5歳の時に、叔母が『ザ・スプートニクス』『ザ・ベンチャーズ』というバンドを聴いていて、そのサウンドに衝撃を受けた。中でもドラムプレイに衝撃を受けて後にドラマーになるきっかけになった。

阿部さんは(この先の話で)ドラマーになるんですね。しかし5歳…。

小学3年生頃、初めて買った洋楽レコードがCMで流れていた『マンダム〜男の世界』(※アメリカのカントリー歌手ジェリー・ウォレス1970年の作品)。それがきっかけで映画音楽にも興味を持って、小学4年生のときには友達の兄ちゃんの影響でロックを聴くようになった。

渋い小学3年生ですね、そして小学4年生で洋楽ロックとは…。

そうなんです。シカゴチェイスBSTといったブラスロックを好きになっちゃって、家で完全コピーした曲のフレーズを小学校の休み時間に校庭で遊んでいる友達の前で披露していた。

叩いたこともないマンボも叩けちゃった。

校庭でブラスロックを歌う小学生、珍百景レベルだ(笑)。

その当時、僕は母子家庭で、母親がパチンコ屋さんに行く際、一緒についていき、店内で流れていた和洋ごちゃまぜだった当時の有線放送で色んな曲を聴いていたら、いつのまにかその時の曲を全部覚えてしまった。

パチンコ屋さんが結果英才教育になっていた…。

そうなんです。18歳の時に、ナイトクラブでドラムを叩いた時、それまで叩いたこともないマンボやラテン調の曲だったが、幼少時よりパチンコ屋さんで聴いた曲調が頭に残っていたから叩けちゃった。ショーダンサーのお姉さんのお尻の動きに合わせて叩くやり方もこの時に覚えた(笑)。

バンドを始めたのはいつ頃からですか?

16歳の頃からソウルバンドがやりたかったんだけど、静岡にはソウルミュージックをやってる人がいなくて(笑)。KISSのコピーバンドをやった。「どうせやるなら化粧も衣装も全部やろうぜ!」と僕が担当。そしたら、その時代にバカ受けしちゃっいました(笑)。当時、まだ聖飢魔Ⅱもなかったから日本初の化粧バンドだった。熱海マリン音楽祭で準優勝したりもしました。

やはり持っていますね!

その後、日本を代表するプログレッシヴ・バンド『美狂乱』とかと、楽器屋『すみや』でかわいがってもらい、同楽器店のお手伝いなどして常連ヅラしてたら、ヤマハ音楽普及部と仲良くなりました。それがPA音響を覚えるキッカケとなりました。

DJとしての活動も同じ頃から?

中学2年くらいから黒人音楽、DJに興味を持ち始めて、高校1年生(‘75年)からディスコに通いだしてたね。当時、ディスコはソウル&ファンクが中心だったんだけど、その後、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開されて、ディスコミュージックが僕の嫌いな4つ打ちビートに変化していく時代になっちゃった。ドラマーからすると4つ打ちは耐えられないんですよ

時代考察からみても随分と早いDJとの出会いですね。

それで77年頃かな、ソウルミュージックにとりつかれ、ディスコでDJの仕事をはじめた。その後、YMOが流行ってきて、テクノという新ジャンルをかけてくれとリクエストが出るディスコが嫌になり、やってられないと思って、1年くらいやって辞めました(笑)。今ではTechnoもFUNKと重なる部分もあり別の意味で、まったく聴かない訳ではないです。ある意味「大人」になりましたよ(笑)。

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