e楽器屋.comが取材した楽器店・インタビュー特集(全36回・2015年3月〜2019年12月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

楽器屋探索ディープレポート Vol.26

新大久保 高橋管楽器

高橋管楽器について
創業1940年、大久保通りから一本入った路地裏の小さな工房は、日本で最初の管楽器個人修理店。管楽器の「最高と完全」を追求し、楽器のポテンシャルを最大限に引き出すリペア技術は、多くのプロサックスプレイヤーに信頼されている。メーカーや購入ショップを問わず、職人に直接相談できるのも安心でスムーズ。歴史に培われた技術と知識は、創業者の高橋治雄氏から2代目の一朗氏、現オーナーで3代目の大輔氏と代々受け継がれ、日々さらなる技術向上のための研鑽に励んでいる。
高橋管楽器 店舗情報
高橋管楽器 公式サイト
新宿区大久保2-16-33 高橋ビル1階
TEL:03-3209-7750
営業時間:10:00~19:00(定休火曜日)

楽器店の中の人に話を聞いてみた〜 高橋管楽器 編

このコーナーは、楽器店でミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューしてお話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

高橋管楽器 (左)2代目 高橋一朗・(右) 3代目 高橋大輔

本日は新大久保の管楽器修理専門店「高橋管楽器」の二代目高橋一朗さんと、三代目で代表の高橋大輔さんにお話をお伺いします。管楽器修理のプロショップとして有名なお店です。まずは創業の時期とお店の紹介をおねがいします。

大輔氏(3代目・代表)1940年7月1日に祖父(高橋治雄氏)が創業した日本ではじめての個人による管楽器修理専門店です。

一朗氏(2代目)ちなみに、この場所(大久保2丁目)には2011年4月、東日本大震災をきっかけに、前の工場から移転してきました。

先日、石森管楽器さんの取材で高橋治雄さんとの交流についてのエピソードがありました。創業者の石森善吉さんは、高橋治雄さんが職人として勤めていらした、楽器製作所の工場長だったとお聞きしました。

一朗氏はい、私の父親は戦前から日管(1918年〜 日本管楽器・のちにヤマハと合併)に楽器職人として勤めていました。のちに、石森さんの次女と結婚したので、父親の立場からすると石森さんは上司であり、義理の父親でもありました。そして、石森さんの次女は私の母親ということになります。今年95歳で今も健在です。

なるほど、石森管楽器さんとはそのような深い関係にあるのですね。

一朗氏石森管楽器さんは、楽器修理にとどまらず販売や輸入業など手広くはじめて、いまやとても大きな会社になりましたね。私たちは、修理一筋でやってきたので、いまも変わらずこの規模のままですけど。

大輔氏最近はうちも、少ないですが販売もしていますけどね。

戦後まもなく、先代の高橋治雄さんが管楽器修理を手がけはじめ、石森さんとともに管楽器修理業という分野を発展させてきたと聞きました。先代が修理専門店をはじめたあたりの経緯をおしえてください。

大輔氏日管の給料だけでは子供のオムツすら買えないので副業的にはじめたらしいです。といっても、伝聞なのではっきりとした真実はわからないのですが(笑)。

一朗氏そういう理由が、創業につながっていった部分もあったはずです。なにしろ、戦後のひどい不景気でしたから。もうさすがに時効だと思うから言うけど、先代は、一般の技術者が(楽器を)2本つくる間に3本つくっちゃうような技術をもっていたから、その1本は会社の命令のもと、正規外の販路さえ模索しながら、なんとか従業員の給与に当てているような状況でした。

結局、日管はヤマハと合併、というか子会社になってしまうのですよね。

一朗氏はい、最終的に日管は給料が払えなくなって、先代たちのいた工場も閉鎖されました。

終戦後の状況下において、管楽器修理の需要というのは存在したのでしょうか?

一朗氏進駐軍の軍楽隊がナイトクラブでジャズを演奏するのがすごく流行っていたので、サックスをはじめ、管楽器と修理のニーズはすごくあったらしく、石森さんを、引っ張り込んだのも、そういう進駐軍の仕事が山のようにあったからなのだそうです。

戦後アメリカの進駐軍を相手にした商売だったということですね。

大輔氏それと、当時、軍楽隊に日本人のサックスプレイヤーが抜擢されることもあったようです。きらびやかなサックスプレイヤーがメンバーにいるだけで、ステージ映えするということで、楽器さえ持っていればお金になったという時代があったらしいです。

一朗氏楽器を手に入れること自体が大変な時期だったわけで、どんな程度のものでもいいから、とにかく楽器を手に入れよう、それを修理して使おう、という日本人からの要望をとらえていったということです。

なるほど。その需要に目をつけて、同業者との競争はおこらなかったのでしょうか?

一朗氏先代も、石森さんも、修理はもちろん楽器製造までしていた日本のトップ技術者でしたので、他の同業者が対抗できるレベルではなかったと思います。そもそも、戦後まもない時期ですから、パーツ類もなかなか調達できないし、だれでもすぐに修理業務ができるという環境ではなかったのではないでしょうか。

ひたすら一本一本、真剣に向き合うのみ

くわしくお話いただきありがとうございました。日本の管楽器業界の黎明期を振り返るうえで、とても貴重な機会になったと思います。そんな歴史あるお店のモットーについておしえてください。

大輔氏お客さま一人ひとりと、楽器一本一本を大切に、それしかありません。駅から重い楽器をかついで、このお店までいらしていただくわけですから。

一朗氏ご依頼いただいたものは断らない、というのがモットー、というかポリシーですかね。これまでも、よほど納期が厳しいといった事情がないかぎり、すべてのご依頼に対応してきました。また、うちは完全にハンドメイドですから、お客さんと一対一で対応し、修理してお手元にお渡しします。その際に、気になる箇所のお話を伺い、じっくり楽器に向き合う。そこは、うちのような小さいお店だからできるスタイルですから、大切にしています。

よくわかりました。飾り気のなさに、仕事の本質を追求する職人の姿勢を感じました。

一朗氏修理一筋でやってきた個人店ですが、お客さまの利便性がより良くなればと、今年からクレジットカード決済を導入しました。

大輔氏そこは、ようやく一般的になったというのかな(笑)。

ところで、大久保エリアには楽器店がたくさんある一方、音楽業界の低迷がつづいています。楽器修理業界的に景気はどうでしょうか?

一朗氏管楽器のプレイヤーは常に一定数いますからね。なかでもサックスはこわれやすく、消耗しやすい、年中調整しないといけない楽器ですので、景気でどうこう、というのはあまり関係ないかな。

大輔氏たとえ景気がよくなったり、わるくなったりしたところで、日々、ぼくら職人が手がけられる楽器の本数は決まっているので、ひたすら一本一本、真剣に向き合うのみですね。

「これでいいや」と思ってしまったらそこまで

このインタビュー企画では必ずお聞きしているのですが、お二人の音楽との出会いについておしえてください。

一朗氏私たちは修理屋ですからね…。音楽や演奏というより、修理業との出会いということになりますが、それに関しては、父が(修理を)やっていたから、に尽きます。そうでなければ、数ある仕事のなかから、自分が選んで入るようなことはなかったですね。

大輔氏ぼくにいたっては、高校時代まで野球一筋。ゴリゴリの体育会系でした。音楽も趣味で聞く程度で、楽器の修理にもまったく興味なし。楽器そのものにいっさい関わっていませんでした(笑)。でも、大学時代のある日、家の仕事を見た時に「かっこいい仕事だなあ…」とふと思う瞬間があって、はじめてこの世界に興味をもって、大学に入ってから一からメンテナンスの技術を学びました。

このような楽器修理やメンテナンスをおこなうのに演奏経験がなくても大丈夫なのでしょうか?

一朗氏楽器の修理をするにあたってプレイヤーのような演奏ができる必要はありません。F1のエンジニアとしての技術と、F1レーサーのテクニックがまったく別なものであるように、楽器の演奏能力と楽器を直す能力はまったく別なので。それよりも、私たちは楽器職人として毎日、修理の腕を上げることのほうが大事です。

大輔氏技術の研鑚は絶対です。昨日やったことが、今日には通じないことなんてよくありますからね。

一朗氏それは、これからも続いていきます。「これでいいや」と思ってしまったらそこまでですから。

では、音楽ファンとして、お気に入りのサックスプレイヤーをお聞きしたいです。

大輔氏チャーリーパーカーですね。あるサックスプレイヤーが「チャーリーパーカーの会」というのをやっていて、その集いを通じて、多くのミュージシャンと仲良くなることができ、チャーリー・パーカーやサックスの魅力を知りました。その方との出会いは、ぼくがこの仕事を始めるきっかけにもなりました。

一朗氏私はやっぱりベニー・グッドマン。クラリネット奏者ですけど。

不世出の才能で、楽器の可能性を高め、音の魅力に光をあてた演奏家を、スタープレイヤーと呼ぶのかもしれませんね。それでは最後に、高橋管楽器からメッセージをおねがいします。

大輔氏ぼくたちがやっていることは、一見、変わらないように見えますが、これまでの経験をもとに、日々技術を磨いて進化しています。楽器の能力を100%引き出す自信があります。ご覧のとおり、職人二人、とっつきにくいと思われがちですが、そんなことはありません(笑)。ぜひお店にお越しください。

一朗氏なんでも直りますからね。1度来てみてください。

約78年もの歴史をひも解く、貴重な取材の機会を頂き、ありがとうございました。確かな技術に裏打ちされた高橋管楽器の魅力が伝われば、幸いです。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2018年7月)

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新大久保(新宿区)
新大久保
JR山手線で新宿から1駅。アジア圏を中心にさまざまな国の人びとが集まる多国籍の街。1998年に描かれたJRガード下の大壁画『天使のすむまち』、そのタイトルを愛称とする「新大久保商店街」では世界中で共通の理解が得られる「天使」をシンボルに、多文化共生まちづくりに取り組んできた。大久保通り56本の街路灯にフラッグが掲げられ、51カ国のことばと国旗で「ようこそ」のメッセージを伝えている。
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